さて第2回はDaddy Ynakeeもお薦めするFrankie Ruizです。


彼は「El Tartaro de la Salsa(サルサの暗黒の闇)」と称される歌手で、80年代には落ち込み気味であったサルサ人気をプエルトリコから復活させて「El Papa de la Salsa」とも呼ばれています。


新しいサルサを築き上げ、プエルトリコだけでなくラテンアメリカ諸国にその人気を浸透させた「サルサを(今の)サルサとした歌手」です。


ニュージャージーの出身ですが十代に家族とプエルトリコへ帰島。 La SolucionやTommy Olivencia楽団といった人気バンドで活躍。若くて華のある歌声とパフォーマンス、カリスマ性で一躍プエルトリコの新しい時代のスーパースターとなりました。


万人に受ける歌謡性に富んだ彼のサルサは従来の曲とは違いサルサロマンチカと呼ばれましたが、明日への希望を感じさせる歌声に多くのラティーノは勇気付けられたものです。


しかしそんな名声とは裏腹に最愛の母親の交通事故死から酒、クスリ、オンナに溺れるようになり、健康を害し、数々のトラブルを引き起こして89年には暴行事件で投獄されてしまいます。



91年に出所後もアルバムを発表しつづけ人気をがあったのですが、以前の放蕩が祟りボロボロになって98年に他界してしまいました。享年40歳。あまりにも若すぎる死でした。



死ぬ数日前の録音ではもう声がでないにもかかわらず、最後までみんなの憧れのスターであろうとする気迫が溢れ、こりゃいつ聴いても涙がでます。ある意味彼はサルサの最もネガティブな部分を背負って生きていったのでしょう。(日本では美空ひばり?)



当然彼はどの時代のアルバムもお薦めですが、投獄前では



「Voy Pa Encima」

http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,197109,00.html



2曲目、3曲目が大ヒットし、当時プエルトリコでは常に彼の曲があちこちで流れていました。



投獄後では



「Puerto Rico Soy Tuyo」


http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,231811,00.html



2曲目、その名も「Puerto Rico」では「死ぬまでプエルトリカン」と歌い、今のレゲトンにも通じるプエルトリコの心意気を爆発させています。もちろんFrankieならではの美しい7曲目「Hablame」も素晴らしいです。



当時のサルサを最も象徴する歌手、Frankie。だからレゲトンアーティスト達の心にも深く刻まれているスターなのですね。



では、また次回。



オヤマ (2005-06-26 11:43:17)



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